10年前のわたしへ
10年前の私は20歳、何してたか仕事も、
つるんでいたであろう友達も全く思い出せないけれど、15歳の頃に自殺を先延ばしにして、20歳で死ぬつもりでしたが、キリの良さで30まで生きるかなんて考えてた頃だったかな?
当時はどうせ死ぬんだしと言わんばかりに、好きなところに何の考えもセンスもなくリスカしまくりで、まさか30になっても生きてるなんて想定してないから腕には誰がどう見ても分かるくらいにリスカ跡が目立ち、人々に裏でコソコソいわれ。
毎日せっせと鏡の前で「アナタハダァレ?」と呪文を唱えていたからか、鏡の前の自分が別人に見えたり、睡眠前後の幻覚に悩まされている日々です。心療内科の先生と喧嘩してバックれて前も今もそれほど後悔してないと思います。それは私の個性であり、孤独を愛せる自分を手に入れたから。
人は自分で死ななくても、
必ず死ぬんだから急ぐことはないよって。
だから治療してもしなくても関係ない
人間関係だって永遠に続かない
だから自分のことだけ考えてればいいのだ
幸いにもいまだに蚊を殺すのにも罪悪感を抱く性格は変わりませんのですよ。他人を傷付けないようにして生きてるように見られてる。他害はない。
いつか人を傷つけてしまうんじゃないかって思ってたけど、宇宙規模で考えたらそんなんチリにも満たないどうでもいい出来事だよ。その時はその時。
開き直れるようになった。
あとはそうだな。なんで生きたかったいうと、
貯金が趣味だったけど、使わずに死ぬのが惜しくなったから、パーっと散財してから死のうと思って。
でも、散財してて思ったの。欲しかったもの買ったり美味しいもの食べたりしても何にも満たされないんだ。楽しいことしてもね、なんでだと思う?
多分私はそれらを強く望んでいなかったんだと思うの。私は自分の喜ばせ方を全く知らなかった。
楽しむ努力なんてしてこなかったからさ。
ごめんね。楽しんで幸せになっちゃいけないって、バチが当たるって思ってたもんね。今も思ってるけど、なんでも因縁つけて考えるくせは病気かなにかかもしれないから直したいね。
眠くなってきたのでこの辺で。
(なにがいいたいのかさっぱり)
自分満足度
今の自分にどのくらい満足していますか?そう問われたとして、97パーセントくらいかな。
もう少し鼻が高くて、顔がちっちゃくて人並みに身長があって、ハム目じゃなくて蒙古襞もなくて、アデノイドじゃなくて、アイドルや女優のように化粧しやすい顔で、食べたいものを好きなだけ食べれて、スタイルが良くて、手先が器用で、センスがあって、やりたいことがすぐ見付かって、行動力があって、元気で物怖じせずに社交的で、コミュ力あって、気が利いて、頭が良くて、二つのことを同時に出来て、料理や運転が得意で、人と関わる意欲がある人間に生まれてたら100パーセントになるけど。
人間なんて消耗品、死んだら終わり。何も残らない。
悩んでる暇がないくらい忙しい毎日、やることだらけ。本当ならやるべき事から片付けるべきなのに、やりたいことから片付けてる。
自分に厳しい人間になりたい、息が詰まらない程度に。。。なんて思ってるうちは全然甘いね。
理想と現実がかけ離れてて努力でもどうにもならないことは落ち込むのではなく開き直って認めるが吉。世の中どうにもならないことの方が多い。どうにか出来たとしても人間なんて消耗品。1億年も2000億年も生きるわけじゃない。開き直ったら前より笑えるし気が楽になったよ。
私のことが気に入らない人の方が多いから
合わない人とはあまり関わらない方が吉
関わりたいけどそれ以上に傷つきたくない
My Worldで生きる 自分を守れるのは私だけ
本と猫が私のお友達
少なくても仲良くしてくれる数少ないお友達を大切に。無駄な人付き合いの時間を、身近な愛猫と遊ぶ時間に当てて、毎日新しい本との出会いで世界を広げて、やっとこ、病まない環境を作れたかな。
本当はもっと派手に生きたいけれどこれがしょうにあってるかな。物足りないけど理想とするものについていけないから仕方ない。
でもね、全てを諦めたわけじゃない。
自分の限界を認められたからこその再出発。
できないことを理解したら
できることを探せばいいだけの話
満足度1パーセントでいいから
未来は私が考えられないところで満足度をあげてたら嬉しいなって。
現状に不満を持ち始めたら変わり始めの第1歩だって誰かが言ってた。
ギリギリでいつも生きていたいから
ギリギリにならないとなにも出来ない人間。いや、早めにやるチャンスはいくらでもある。でも今じゃない。もっとあとにしようかな。気が変わったりすることあるじゃない。なにか手を加える前にギリギリまで悩んで納得しないでも、勢いがあるじゃない。失敗してもあんだけギリギリまで悩んで決めたんだからって後悔薄れるじゃない。だからやっぱり辞められないよ。ギリギリ生活。私はこれで損した記憶ないもの。逆に人に急かされてやってもっと遅くしてればってことならあるよ。早まったことでなにかのキャンセル料払ったり、時間を気にしながらの旅行になったり、数日後に値引きシールが貼られたりね。人生経験上、すべて早い方が得ということはなくて、遅くした方が良いものもなかにはある。これは私の人生経験に基づいてるんだけど、勘で判断してるから説明しにくいな。
でも今回の悩みはどうしたものか。比喩ではなく人生がかかってる。早まるか遅まるか。
今年こそと考え生きてきた。どうして今年かと言うと、誕生日と年齢が語呂がよく終われるから、ただそれだけの理由でここまで生きた。
仕事もきちんと辞めた。身の回りの品を処分する作業はまだまだ全然捗っていない。毎日ひたすら読書して、たまに旅行に行く。食べたいと思いついたものを食べる生活。とても人生を終わらすか悩んでる人間とは思えないほど部屋に物が溢れている。
とても自由。仕事をせずに自由に生きているから、心にも余裕がある。
毎日好きな時に起きて、好きなものを食べて、好きなことして、欲しいものは好きなだけ買って、行きたいところに行く。気の向くまま自分勝手に生きてる。
幸せ。幸せ、本当にそうだろうか?
人との関わりはほぼ絶ってるといえば聞こえはいいけれど、こちらが何も言わずとも連絡は来ないし、こちらから仕掛けても迷惑そうに要件だけ返される。余計な人間関係など生きる上で面倒以上のメリットなどない。
働いたらストレスがかかる分、賃金となりそのお金で自分の望みが叶う。貯金をしてきたからその分で今自分を労りこのまま自由を味わって終わるのも可能だ。
やりたいことが見つからない。なんでも出来るしなにか自分にしてあげたい。なのに、欲しいものはないし特別行きたいところもない。趣味の読書だって図書館に行けば無料で好きなだけ読めるのだ。
将来やりたいこともなく、結婚する未来も、友達が出来る未来もなく何のために生きてたんだろう
夢も目標もない人生、やりたいことも成し遂げたいこともない人生、好きなこと欲しいもの希望がない人生。特に死にたくなるような状況じゃないけど、今のままでもいいような。未来なんて何が起きるかわからないし今どうするって決めても結局は未来の自分がその時の状況、過去の経験に応じて行動しなるようになる。なんにも心配はいらない。
というかそもそも私は人生を終わらせる気などないのかもしれない。次の誕生日まで生きるのが今までの目標であった。楽しい人生になりそうだったら生きよう。そうじゃなければ潔くキリよく人生に幕を閉じよう。今でもこの考えは捨ててはいない。
楽しい人生か。何も思い浮かばない。一般的な楽しい人生だとしたら結婚して子供がいてとか当たり前とされる幸せを願うんだろうけど、私は彼氏を欲してないし子供も欲しくない。友達も欲しいけど正直難しいと思う。私はどんな人生を楽しいと思うかが自分のことなのにさっぱりわからない。
仕事バリバリこなすキャリアウーマン?高収入になって世界中を旅したい、整形して綺麗になってお洒落して…どうしたい?
うーん(._.)私は一体なんのために生まれた?
という疑問よりも正直
せっかく生まれて苦労してここまで来たのに何もしないで死ぬの?一応日本だし自由が多い国だよ?もったいなくない?なにかしようよ
みたいな思いがあって、このまま死ぬのは惜しい気がする。
ので、多分死なない、悔しいもんだって。
今年だけで綺麗な海をいくつも見たり、山をみたり登ったり、美味しいものを食べたり、テーマパークに行ったり、旅館に泊まったり、着物着て出歩いたり、温泉にゆっくり浸かったり、たくさんの本を読んだり、文通の願いも叶って毎日ポストになにかが届く生活もした。欲しいと思ったものは全て手に入れた。でもそうじゃないなにか虚しい。なんだろうな、何が足りてないんだろうな。なんだろう。やり残したとかの後悔はない。でも、自分の考えられない範囲でなにかをやり残してる。
私のことだから死ぬ間際にそれを思いつくのだろうか、ギリギリでしか行動できない。身も心も、そして頭も。