透明生活

オバケくらい存在感うすく生きてる人の脳内

ギリギリでいつも生きていたいから

ギリギリにならないとなにも出来ない人間。いや、早めにやるチャンスはいくらでもある。でも今じゃない。もっとあとにしようかな。気が変わったりすることあるじゃない。なにか手を加える前にギリギリまで悩んで納得しないでも、勢いがあるじゃない。失敗してもあんだけギリギリまで悩んで決めたんだからって後悔薄れるじゃない。だからやっぱり辞められないよ。ギリギリ生活。私はこれで損した記憶ないもの。逆に人に急かされてやってもっと遅くしてればってことならあるよ。早まったことでなにかのキャンセル料払ったり、時間を気にしながらの旅行になったり、数日後に値引きシールが貼られたりね。人生経験上、すべて早い方が得ということはなくて、遅くした方が良いものもなかにはある。これは私の人生経験に基づいてるんだけど、勘で判断してるから説明しにくいな。

 

でも今回の悩みはどうしたものか。比喩ではなく人生がかかってる。早まるか遅まるか。

 

今年こそと考え生きてきた。どうして今年かと言うと、誕生日と年齢が語呂がよく終われるから、ただそれだけの理由でここまで生きた。

 

仕事もきちんと辞めた。身の回りの品を処分する作業はまだまだ全然捗っていない。毎日ひたすら読書して、たまに旅行に行く。食べたいと思いついたものを食べる生活。とても人生を終わらすか悩んでる人間とは思えないほど部屋に物が溢れている。

 

とても自由。仕事をせずに自由に生きているから、心にも余裕がある。

 

毎日好きな時に起きて、好きなものを食べて、好きなことして、欲しいものは好きなだけ買って、行きたいところに行く。気の向くまま自分勝手に生きてる。

 

幸せ。幸せ、本当にそうだろうか?

人との関わりはほぼ絶ってるといえば聞こえはいいけれど、こちらが何も言わずとも連絡は来ないし、こちらから仕掛けても迷惑そうに要件だけ返される。余計な人間関係など生きる上で面倒以上のメリットなどない。

 

働いたらストレスがかかる分、賃金となりそのお金で自分の望みが叶う。貯金をしてきたからその分で今自分を労りこのまま自由を味わって終わるのも可能だ。

 

やりたいことが見つからない。なんでも出来るしなにか自分にしてあげたい。なのに、欲しいものはないし特別行きたいところもない。趣味の読書だって図書館に行けば無料で好きなだけ読めるのだ。

 

将来やりたいこともなく、結婚する未来も、友達が出来る未来もなく何のために生きてたんだろう

 

夢も目標もない人生、やりたいことも成し遂げたいこともない人生、好きなこと欲しいもの希望がない人生。特に死にたくなるような状況じゃないけど、今のままでもいいような。未来なんて何が起きるかわからないし今どうするって決めても結局は未来の自分がその時の状況、過去の経験に応じて行動しなるようになる。なんにも心配はいらない。

 

というかそもそも私は人生を終わらせる気などないのかもしれない。次の誕生日まで生きるのが今までの目標であった。楽しい人生になりそうだったら生きよう。そうじゃなければ潔くキリよく人生に幕を閉じよう。今でもこの考えは捨ててはいない。

楽しい人生か。何も思い浮かばない。一般的な楽しい人生だとしたら結婚して子供がいてとか当たり前とされる幸せを願うんだろうけど、私は彼氏を欲してないし子供も欲しくない。友達も欲しいけど正直難しいと思う。私はどんな人生を楽しいと思うかが自分のことなのにさっぱりわからない。

 

仕事バリバリこなすキャリアウーマン?高収入になって世界中を旅したい、整形して綺麗になってお洒落して…どうしたい?

うーん(._.)私は一体なんのために生まれた?

という疑問よりも正直

せっかく生まれて苦労してここまで来たのに何もしないで死ぬの?一応日本だし自由が多い国だよ?もったいなくない?なにかしようよ

みたいな思いがあって、このまま死ぬのは惜しい気がする。

 

ので、多分死なない、悔しいもんだって。

 

今年だけで綺麗な海をいくつも見たり、山をみたり登ったり、美味しいものを食べたり、テーマパークに行ったり、旅館に泊まったり、着物着て出歩いたり、温泉にゆっくり浸かったり、たくさんの本を読んだり、文通の願いも叶って毎日ポストになにかが届く生活もした。欲しいと思ったものは全て手に入れた。でもそうじゃないなにか虚しい。なんだろうな、何が足りてないんだろうな。なんだろう。やり残したとかの後悔はない。でも、自分の考えられない範囲でなにかをやり残してる。

 

私のことだから死ぬ間際にそれを思いつくのだろうか、ギリギリでしか行動できない。身も心も、そして頭も。